「あんたが好きみたい」なんて至極真面目な顔で言われるまで、自分が行天にどんな感情を抱いているかなんて考えたことも無かった。
それまではいつまでもうちに居座る同居人くらいにしか思ってなかったし、今更行天にどんな感情を抱いているかなんて正直どうでも良かった。
何より、そんな風に行天について真剣に考える事こそがとても馬鹿馬鹿しく思えたのだ。





「"愛してる"より口付けを。」












「多田は?」

「…は?」

「俺はあんたの事が好きだと思う。…多田は?」

ああ、やはり先程の台詞は冗談じゃなかったのか。むしろ冗談であって欲しかったが。

そんなことを考えながら床へ落としていた視線を上げれば、行天としっかり目が合った。
好きだ、と言われたからであろう、行天の前で妙な居心地の悪さを感じ、仄かに赤らんだ顔を隠すよう再び俯いた。
別に好きだと告げられた事が初めてというわけではない。一度は妻も居た身だ。それなりの経験だって積んでいる。
今でこそそういった類のものとは無縁に等しかったりするが、特別それに不便を感じたことは無かった。

けれど、男に、しかも行天なんかに好きだと言われるなんて、普通はそんな場面を想定した受け答えなんて考えないだろうし、それは多田だって同じだった。
急に答えを求められても、一度たりとも考えたことが無かった事なのだから、すぐにこうだ、と言い切ることは出来ない。
少なくとも、一緒に居られるくらいには行天の事を信頼しているのだと思うが、かといって、それが恋愛感情に繋がるかといえば、そうでも無かった。

明らかに戸惑ったような表情を浮かべた多田に、行天は小さな笑みを漏らす。

「俺が思うに、キスしてみれば分かると思うよ」

「……俺とお前が?」

「うん」

先程笑われたことにムッとしていたのだが、行天がまた酷くとんちんかんなことを、平然とした表情で言い出したので、怒るのを忘れて真剣に行天の頭を心配してしまった。
話が飛躍しすぎている。
何でいきなりキスの話になるんだ。あれか、恋愛感情ならキスは嫌じゃないっていうのか。
いつの時代の乙女だ、お前は。

「で。……しないの?」

俺は多分嫌じゃないと思うよ、と百面相している多田を見つめながら行天が付け足した。
そんなの分からないじゃないか、と多田がゆるゆる首を振る。どちらにしても、多田に利益があるとは思えない。
この年になって男にマジ惚れって…ちょっと笑えないし。

行天は暫く大人しく待っていたが、いつまで経っても身動きしない多田に痺れを切らして「ねぇ」と肩を揺さぶった。

「あ?…え、…あ…っ」

考え事をしていたらしい多田が、改めて行天を視界に捕らえる。
途端に赤らんだ頬。あんた、動揺しすぎでしょ。行天は思った。何だかとてもそんな仕草が可愛らしい。
己を庇うよう、僅かに上げた腕をどうしようかと多田が考えているうちに、行天がひゃひゃ、と可笑しな笑い声を上げた。

「何で笑う」

「いや、だってアンタ。いきなり襲ったりしないって。…処女みたいな反応しちゃってさ」

「煩い、バカ」

肩を揺らしながらしつこく笑う行天に聞こえるよう舌打ちした多田が、やってられないと行天に背を向ける。
付き合ってられない、こんなバカ。居候の分際で。
待ってよ、と後ろでもたつく行天にイライラしながら何だ、と多田が振り返った。
振り返り際、案外近くにいた行天に多田が驚いて僅かに目を見開く。それを見た行天は小さく笑って、そっと唇を重ねた。

びくん、と大きく多田の身体が動いたが、後頭部を手で支え、思うままに口付ける。
近づきすぎてピントの合わない多田の顔を見ようと目を開けたら、多田と目が合った。
しまった、とか思っているに違いない。慌てて多田は目を閉じたので、行天はそのまま多田の震える瞼をじっと見つめていた。

「―…っ…も、いいだろ…」

「…うん」

たった数秒しか触れ合っていないというのに、唇がとても熱い。
行天の胸を押して離れようとしたら、案外抵抗することも無く離れてくれた事に安堵した。
見かけによらず行天の力は強い。もし抵抗されていたら、多田も無駄な体力を使わなければならなかっただろう。
腕で顔の下半分を隠した多田が、後ずさりながら視線を落とす。
それに酷く興奮を覚えながら、それでもそれくらい隠す事は容易いので、飄々とした表情で後ずさりする多田を追いかけた。

ぺたり、ぺたり。

多田の背が壁に付く。

二人分の足音が行天だけになり、それもすぐ止んだ。

じわじわと多田の頬が赤らみ、しっかりと行天の視線を感じたまま「何だよ」と多田は何とか声を絞り出したが、 その声があまりにも震えていて、本当に処女の反応みたいだと行天が堪らず噴出すと、 自覚していたらしい、多田は唸って行天を睨んだが、すぐに視線を外して「バカ」とだけ言った。
人間動転していると、本当に馬鹿の一つ覚えになってしまうのだろうか。そんな事をぼんやりと考えながら突っ立っていると、多田が落ち着き無く視線を彷徨わせ、チラチラと行天の顔色を窺っていた。

「…で、どうだったの」

「どう、って…」

「ヤだった?…ヤじゃなかった?」

「それ、は…」

行天の問いに盛大に顔を赤くしながら多田がもごもごと口ごもる。
そんな事をしている時点でどうだったのかなんてバレバレなのだが、生憎行天はそんな多田を見ているのが面白かったので、「…で?」とわざとらしく首を傾げて続きを催促しただけだった。

それに益々困った多田はどうしたものかと眉を寄せ、案外簡単に導き出された答えを反芻してみたが、やはりその答えが覆ることは、残念ながら今の所無さそうだった。
そりゃ、キスして嫌か嫌じゃないか、たったそれだけなのだから、何通りの答えが用意されているわけでもないし、 いや、だからってキスして嫌じゃなかったからって好きだとは限らないだろう、うん、そうだ。そうに違いない。

すでに行天が男で、男とキスして嫌ではないという事自体問題なのかもしれないが、そこは今触れなくてもいい。

一人納得して頷いた多田は、嫌じゃなかった、と行天の目を見ないようにして言った。
けれど…と続けるつもりで口を開いたのだが、「やったー!」と大声で叫び、抱きついてきた行天に呆気無くそれはスルーされ、 再びキスしようと顔を近づけてきた行天に「調子に乗るな!」と頭を叩いた事で、多田自身もすっかり忘れてしまうことになった。